百人一首について 019
2011年の幕が開けました。
もう、お年玉をもらうこともなく、福袋を買うこともなく、ただ過ぎていってしまうお正月になってしまいました。
小さいころ、お正月というと親戚が集まり、ごちそうを食べ、従兄弟達とすごろくや百人一首、凧揚げをして遊んでいたことを思い出します。
昔、うちには木札の百人一首がありました。取り札の木札には下の句が昔の字で書かれており、読み札は紙で現代の文字で書かれていました。
今はすでにどこにあるのかわかりません。押入れの奥に眠っているのか、捨ててしまったのか・・・。
小学校の高学年になると、クラス対抗で百人一首大会があり、それに向けて数カ月前から練習をしていたものです。木札に書かれている昔の文字は「人」「命」くらいは読めましたが、あとはくねくねした線が書かれているだけで判読不能でした。
下の句読みの下の句取りは北海道だけだと聞きます。でも小さい頃から百人一首といえば下の句だけだったので、あまり深く考えず、そのままを受け入れていました。
大人になって、百人一首には上の句があり全体で一つの短歌になっていることや、本州では上の句を読んで下の句を取るという信じられないことをしていると知りました。
そうかあ、確かに下の句だけじゃ読めないどころか意味もわからない。 意味なんて考えたこともなかったのでちょっと新鮮です。
「われてもすえにあはむとぞおもう」
「みだれそめにしわれならなくに」
もはや暗号です・・・。 よくこんな意味不明なものを100も覚えたものだなあと、今さらながら自分で感心します。
最近、一つ一つの歌の解釈が書かれている小さな冊子を手に入れました。
せっかくなので上の句と下の句を合わせて一つの短歌として覚えたいと思っています。
まだまだ勉強不足ですが、今、私のお気に入りは
「花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに」
小野小町の歌です。
いつのまにか色あせて散ってしまった花と自分を重ね合わせて、いつの間にかこんなに年をとってしまった、という内容です。 あの「世界三大美女」 クレオパトラ・楊貴妃に並ぶ日本の美女、小野小町がこんなに寂しい歌を読んでいたとは・・・。 今も昔も、女性はいつまでも若々しく、美しくありたいと願っているのですね。 あ、私は個人的には年を取ることで人間としての深みが増すと思っているので、「若い」=「青い」「未熟」という感じがしていますけどね。
もう一首は 「天つ風雲の通い路吹きとぢよ 乙女の姿しばしとどめむ」
これは小学生の頃から「乙女」を誰が取るかでかなり白熱しました。 この「乙女」にこんなに素敵な上の句があったとは! 乙女は天女で、空を舞っているところを作者が見ちゃったのでしょうね~。どこかへ飛んでいってしまわないように雲で通せんぼする気です。 それをまた天の風に向かって指示を出しているのです。 作者はお坊さんですが、美しいもの見たさには勝てない。 うん、わかりますとも。
やはり上の句があると、その情景を思い浮かべることができて楽しいです。
紅葉狩りのために山に行ったり、月を眺めながら愛しい人の訪れを待っていたり、待てど暮らせど来ないので恨み言を言ってみたり・・・。
今も昔も、人の本質は変わっていないのだなあ、と思いながら本文と解釈を行ったり来たりしながら読んでいます。
少しずつ、でも着実にこの百首は覚えたいなあと思う、2011年の年明けでした。
2011年1月
FLOWMOTIONカフェ担当 つかこしちひろ